震災情報ブログ「ルーテルとなりびと」を開設しています。どうぞごらんください。
2テモテ 2:15 あなたは、適格者と認められて神の前に立つ者、恥じるところのない働き手、真理の言葉を正しく伝える者となるように努めなさい。
パウロは、若い弟子のテモテに「適格者として認められた働き手」について教えています。まず「言葉をあげつらわないように」、また「俗悪な無駄話を避けなさい」と告げています。むしろ「真理の言葉を正しく伝える者になる」と忠告しています。正しく伝えるとは、まっすぐに伝えると言うことと同じです。 テレビを見ていると、ちょっと気になることがありました。言葉づかいについてです。最近、グルメ番組が多いのでしょうか、出演者が食べている映像が映ります。そのときの言葉づかいです。多くの出演者は男女問わず「うまい」「うめえ~」と言います。若い女性から「うめえ~」という言葉を聞くと気になります。むしろ「おいしいですね」という言葉が聞きたいものです。他にも「そして」「それから」「ところで」「いずれにしても」という言葉も反乱しています。言葉の乱れは心の乱れということを昔聞いたような気もしますが。 パウロは「真理の言葉を正しく伝える者となるように努めなさい」と教えています。神様のみ言葉は正しく伝えなければなりません。一字一句が神様の福音だからです。この福音によって人は生かされます。真理の言葉が正しく伝えられたとき、人はまっすぐに生きる者となるのです。 <本日仙台となりびと出張のため音声朝礼はお休みです>
ヨハネ 6:63 わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。
イエス様の有名な言葉に「わたしは命のパンである」というものがあります。それを食べるという話に対してユダヤ人たちは「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか」と言っています。イエス様の人肉を食べる話に聞こえたのかもしれません。イエス様は続けてその言葉について教えられました。それは「イエス様が話した言葉は霊であり命である」というものです。それを信じて聞くことができるかという問いかけでもありました。言葉に躓くのでなく、その言葉の力を受け入れることを望まれたのです。 日本の格言に「優しい一言には、冬の三カ月を温める力がある」というものがあります。東日本大震災救援活動も現地では本格的な冬を迎えています。先週末、石巻北上地方は吹雪だったとお聞きしました。仮設住宅では隙間風が入ってくる被害があり、玄関も吹き抜け、寒さにじっと耐えるしかないとお聞きしました。吹雪の中でも、ボランティアが仮設にきてくれるということに被災者の方から「ここに一緒にいてくれるだけであったまるね」と言葉をいただいています。その言葉がボランティアの心を暖かくしています。 イエス様は「わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である」と言われました。言葉とは単なる会話の道具ではなく、音の響きでもありません。イエス様の言葉には神様の霊と命があります。同じようにイエス様を信じる私たちの言葉にも、霊と命があります。それを知って正しく生きるとき、言葉が命となって人に届くのだと思います。 <音声朝礼は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>
広島女学院理事会に出席のため、久しぶりに広島に帰りました。「帰る」という表現が微妙に違ってきている感じを受けます。広島教会に現場を持っていた頃は、広島に帰るという表現は普通でした。事務局専任になっても、家族が広島で生活をしていましたので、その頃もまだ帰るでした。家族が次女だけを残し上京して1年がたちました。すると帰るが行くになってきたのを感じたのです。自分の生活基盤はどこにあるかを考えてみました。どこに向かっていくことが帰ることなのか。やはり家族がいるところだと思います。 それでも、広島港の見えるマンションで海を眺めていると、なんだか安心感があります。ここにいて生活し、神様の恵みのもとたくさんの出会いがあった感謝しています。その出会いを数えていくうちに、やっぱりここもまた故郷だと実感しました。いまも目の前を四国松山行きの高速船が走っていきました。この高速船にのって松山教会の礼拝奉仕をしていました。続けて、似の島行きのフェリーが通りました。谷の百合幼稚園の宿泊保育のために何度島に渡ったことでしょうか。次は江田島行きです。こやってながめているだけで、たくさんの思いでが次から次と浮かび上がってきます。広島港を見ているだけでこれだけ浮かぶのですから、街中にいけばもっとかもしれません。 最近は広島に行くたびに、あちこち歩いています。運動も兼ねていますが、広島の空気を感じながら歩いていると、自分の中に宣教への熱意が浮かび上がってくるのです。いまは広島で直接宣教活動を行うことはできませんが、神様が広島で教えてくださったことを再認識しています。神様から遣わされて宣教した広島教会での12年はいったい何だったのかとも思い返しています。 事務局専任から現場に帰る時が近づいていると思います。事務局勤務の4年間、直接現場に出ることを止められてきました。しかし、現場に帰るのです。自分が牧師として召された人生は、現場にあるから帰るのです。現役牧師人生もあと20年となりました。うかうかしていられないですね。
最近のヒット!炊き立てご飯にこの薬味です。いったい何?いわゆる「白ネギ」と「唐辛子」です。ねぎ一本を輪切り、唐辛子4本も輪切り。それに醤油を50CC入れてかき混ぜるだけ。あとは1日冷蔵庫にいれておく。簡単です。
これはすごいですよ。ご飯にちょっとのせて食べると、何杯でも食べれます。スパゲッティにも薬味として使用できます。お味噌汁にいれてもいいかな。とにかく食べたあとに体が温まります。
今日も作って冷蔵庫に保管しました。ご飯が楽しみです。
使徒言行 14:15 あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです。
リストラの地でパウロの奇跡をみた群衆は、彼をヘルメス(偶像の神の名)と誤解しています。さらに、パウロに生けにえを捧げようとしています。これに対してパウロは、自分の服を裂いて「わたしたちもあなたがたと同じ人間にすぎません」と叫びます。本当の神様に立ち帰るようにと説教をしています。一度立ち止まって立ち帰ることは大切なことです。 牧師として一番できてないことは、フィードバックを受けることです。牧師は教会に派遣されると、すぐに管理者の責任を任されます。その状態をある人は「すぐに社長職につかねばならない」と表現します。そうすると、自分から求めなければ意見を言って下さる方がいないということになります。牧師も勇気を出してフィードバックを求めるべきだと考えています。何も難しいことではなく「続けてほしいこと。やめてほしいこと。はじめてほしいこと。」を素直に聞けばいいのです。そこから新しい展開が生まれてきます。 パウロは「生ける神に立ち帰るように」といいます。そのために福音を告げているといいます。語られる福音によって、神様に立ち帰るのです。自分をもう一度見つめ直すことでもあります。福音が私たちに何を語り、何を示しているのかを聞くことで、信仰のフィードバックになります。 <本日広島出張のため音声朝礼はお休みです>
ルカ 10:42 必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。
ベタニアの村に、マルタとマリアという姉妹が住んでいました。イエス様はこの姉妹のところに行かれた時の話です。姉のマルタはイエス様を向かい入れ、接待のために忙しく働いています。ところが妹のマリアはイエス様の足元にすわってその話に聞き入っていました。接待の手伝いをしないマリアにマルタは腹を立て、イエス様にマリアを諫めてほしいと願いました。しかし、イエス様はマルタに大切なことは何か、いま必要なことは何かを話されました。 ある人の言葉に「私は一度に一つのことしかできないが、一度に多くの事をやらないようにすることはできる」というものがあります。私たちは一度に多くの事をやろうとします。目の前に緊急の仕事がたくさんあるからです。とくに締切がある仕事は、いくつも同時にやらねばなりません。しかし、それが本当に重要なことかどうかは検討を必要とします。緊急か重要かで、仕事の優先は変わってくるはずです。本当にやらねばならないことは、緊急な仕事でなく重要な仕事です。どこに立つかで仕事の仕方が変わってきます。 イエス様は「必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ」と言われました。マリアが選んだことは緊急なことではなく、重要なことでした。マリアにとって一番重要なことは、イエス様のみ言葉を聞くということだったのです。マルタが振り回されたのは緊急の事柄だったのです。自分の人生において緊急でなく重要なことは何かを考えてみたいと思います。 <音声朝礼は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>
マタイ 10:7 行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい
イエス様は弟子たちを宣教へと派遣するにあたり、御自分と同じ権能を与えておられます。宣教する弟子たちの働きは、イエス様の活動と同じ内容でした。弟子たちが出て行って伝える教えも、イエス様と同じ「天の国は近づいた」と、み言葉を宣べ伝える使命が与えられたのです。 使命・ミッションが何かを知ることの大切さを説明した言葉があります。それは「船長のミッションが船を守ることであるならば、船長は船を港からださないであろう」です。自分たちが与えられた使命が何であるか、それは間違ってないかを点検しなければなりません。教会も維持することのみがミッションとするならば、外に向かっての宣教を考える必要はなくなります。各個教会が何をミッションにしているか。また、そのミッションを共有出来ているかを考えてみなければなりません。 イエス様は「行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい」と言われました。外に向けて出かけていき、み言葉を語り、奉仕する使命・ミッションを与えられました。しかも具体的な指示をされています。ミッションがはっきりしているので、弟子たちはみ言葉を信じ、安心して出かけていったのでしょう。私たちに与えられている神様のミッションがわかっているか。そのミッションに従っているかを考えて今日一日を生きてみましょう。 <音声朝礼は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>
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