熊本の天草には、教会と保育所がありました。その跡地を訪問してきました。
戦後すぐに宣教師から派遣された一人の姉妹がここに宣教の種をまき始められました。保育所の働きをとおして地域とつなげっていかれたのです。そのご苦労は言葉では言い尽くせません。「イエス様のみ、イエス様のみに頼って生きてきました」とはその姉妹のお言葉です。
現在は土地を処分するために売り出されています。教会の跡地をみながら、本当にここでの使命は終わったのだろうかと考えてみました。いや終わったのではなく、引き継がれて、いままたどこかで福音の種が芽を出しているのだろうと思いました。
大江教会牧師室には天草教会の看板が設置してあります。毎日これをみながら教会の宣教を考えています。
戦後すぐに宣教師から派遣された一人の姉妹がここに宣教の種をまき始められました。保育所の働きをとおして地域とつなげっていかれたのです。そのご苦労は言葉では言い尽くせません。「イエス様のみ、イエス様のみに頼って生きてきました」とはその姉妹のお言葉です。
現在は土地を処分するために売り出されています。教会の跡地をみながら、本当にここでの使命は終わったのだろうかと考えてみました。いや終わったのではなく、引き継がれて、いままたどこかで福音の種が芽を出しているのだろうと思いました。
大江教会牧師室には天草教会の看板が設置してあります。毎日これをみながら教会の宣教を考えています。
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