仮設住宅建設という新聞の記事をみたので母の言葉思い出しました。「どこさんつれていかるっとだろか~ばらばらにさっるとよ」。やっぱりな~これは母にとって、痛み苦しみの始まりなんですね。
記事を見て思ったのは明らかに仮設住宅の数が足りない。しかも大津にできる仮設に全員はもちろん入居できない。次の候補は岩戸の里温泉の横。あそこは3年前の大洪水で反乱したところ。さすがに村の人の反対でその話はなくなったそうだ。次の候補は?どうも崩落した阿蘇大橋の向こう、南阿蘇のどこからしい。なんで?そうやって村のコミュニティばらばらになっていく。
東日本大震災ときのこと、仮設支援で「一人の孤独死もださい」と石巻市社協の方々は叫んでおられた。その心意気はあるのだろうか。お年寄りが故郷を捨てざるを得ない状況で、コミュニティを分断され一人さびしく友達もいない仮設住宅に住むことにならないか。お年寄りの孤独をつくりだすことはないか。ばらばらにされる痛み苦しみに母は耐えられるのか。いつでも一緒に住む用意はできていても、我が家にはやってこない。母は村の人々が大好きなんです。その人たちと暮らしたいのです。
きょうも避難所の庭でお友達とグランドゴルフをしていました。「こんひとたちといると楽しかよ~」と。すべての村の被災者が全員仮設に入れることになった。素晴らしいこと、、、いやそのために何がおこるか。そんな現実にさらされているお年寄りのそばに寄り添ってゆっくり話がきける宗教者でありたいと思う。いまこの苦悩の現場に身を置いて何ができる?何が必要?それを考えています。
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