マタイ 4:24 イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。
イエス様の公活動の最初の仕事は、弟子を召すことでした。その後、おびただしい病人をいやすことへ活動は広まっていきました。イエス様の働きの3つの柱は「教え」「福音を宣べ伝え」「いやす」に集約されています。この3つを現代の教会もその勤めとしているのです。
宣教会議のたびに、何か足りないものを感じます。そう思いつつこの箇所を読んだとき、これだ!と思いました。それは「いやし」について語られないということです。宣教とは「イエス様のみ言葉を宣べ伝えることである」。もっともです。しかし、「いやし」はどうなのでしょうか。「病気のいやし」だけでなく、「魂のいやし」が話されているか。教会は人々の「いやし」をみ言葉とおして行っているかということです。
群衆は、ありとあらゆる病人を連れてイエス様のもとへきます。イエス様のもとに連れてくる信仰を見ます。そこに「いやし」があるからです。いま私たちの教会に「ここにいやしがあるか」ということを問うてみたいものです。もしあれば人が集まってくることでしょう。現代の社会にとって何が一番の「いやし」なのかなと思いつつ。
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