広島教会朝礼拝242419「神様の前での豊かさ」
ルカ 2441 自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこの通りだ
イエス様が人々の貪欲に対して語られた、たとえ話「愚かな金持ち」の最後の言葉です。ある大金持ちが豊作で収穫がたくさんあったのですべて倉に収めます。何年分もたまったので、飲み食いして休んで楽しめと叫びます。しかし、イエス様は本当に豊かさとは、自分のためにではなく神様のためにあるものだと教えられたのです。
ある歴史雑学の本に、アレクサンダ-大王のことが書かれてありました。アレクサンダ-大王といえば、全世界を自分の手中に納めた王です。その本には、「アレクサンダ-大王は、当時の全世界を自分の手の中に握っていた。その彼が死ぬとき『われを葬むる時に、わが両手を開いたままで棺の外にだしておいてくれ』と遺言したそうである。天下を握ったと思った手に、実はなにも握っていなかったことを知った、というなぞなぞだったのだ」と書かれてありました。
神様の前で豊かになること。それは自分の命がどこからきたのかを知ることでもあります。私たちの命は、すべて神様のものです。それを理解するのには大変な努力を要します。試練もあります。なぜなら、命は自分のものだと信じているからです。命も神様のものだと委ねてしまえば肩の力が抜けて楽になるのですが。
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