「2014年3月をもってルーテル教会救援は終了します。」というお知らせがきました。東日本大震災の救援活動に関わった者としてはとても複雑な思いがしています。終了ではなく、ひとつの区切りを迎えるということでしょう。
3月11日にはルーテル仙台教会で記念礼拝と感謝会が行われるそうです。3年という長い年月、ルーテル教会救援は被災地で活動してきました。この活動を支援してこられた方々、働いたスタッフに感謝する会なのでしょう。記念礼拝といのは何を記念するのか。活動の3周年記念ということなのか。震災が起きた3月11日午後2時46分18秒から始めるとのことですので、震災の出来事を記念する礼拝となるのでしょう。忘れかけていく中での記念礼拝なので、全国の教会にもっとアピールできればよかったなと思います。
ただ、今回被災地である石巻に訪問しながら「となりびと」と「よりそいびと」はどう違うのかを考えていました。伊藤文雄牧師は「となりびと」はBeingで、「寄り添いびと」はBeing+Doingなのではと教えてくださいました。ルーテル教会の救援活動は「となりびと」から始まりました。しかしそれは「寄り添いびと」という形へと変えられていった、いやとなりびとの本来の意味は寄り添いびとだったことを発見しました。よきサマリア人は寄り添いびとだったと。もっと深くまとめていかなければなりませんが、聖書を被災地からあらためて読み返しています。
ということで、私には3月11日の記念礼拝・感謝会を素直に受け入れられないでいます。寄り添いびととして活動してきたルーテルさんは、石巻、東松島、気仙沼の被災地に身を置いて共に祈るのではないか。やっぱり「となりびと」は「となりびと」だったのか。被災地の痛み苦しみに寄り添うこととは一体何だったのか。問いつづけています。