街中を歩いていると結構イライラしている方がおられます。私たちの生活はストレスやプレッシャーでちょっとしたことでも怒りがこみあげてきます。またコロナのこともあり、敏感になっているのかもしれません。こんな時こそ少し冷静になってみようと思いますが、なかなかできないのでしょう。
アリストテレスの言葉に「だれでも怒ることはできる。それはたやすい。だが、適切な相手に、適切な度合いで、適切なときに、適切な目的のために、適切な怒り方をすることは、たやすいことではない」があります。さすがにそうだなと思いました。適切にという言葉が自分を反省させてくれます。ちょっとしたことで発した怒りの言葉は、相手を傷つけます。怒りの言葉を発するときは、自分が冷静になるときだと考えればいいかもしれません。
それではどうすれば冷静になれるかです。ある方が怒りの言葉を発する前に3つの事を自分に問いなさいと教えてくださいました。その3つとは、「これらの言葉は真実か」「これらの言葉は必要か」そして「これらの言葉に思いやりがあるか」です。これをまず自分に問うてみてはと。なるほどそうです。そのことで自分を顧みることもできるのです。
イエス様も聖書の中で「怒り」をあらわされる時があります。宮清めなどは有名です。しかし、イエス様は「適正」な怒りを私たちに示されます。神様の御心が何であるか、神様は何を求めておられるか。神様の正義にあっているか。神様のということを考えた時、自分の怒りが何のためにあるのかがわかります。「適切な怒り方をするのはたやすいことではない」。怒りがあるとき、それが何のためであるかを考えてみたいです。
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