ガラテヤ 6:17 わたしは、イエスの焼き印を身に受けているのです。
故郷の阿蘇をドライブしていると、たくさんの赤牛に出会います。たいへんのどかな光景です。自然のいっぱいあるところで、のびのびと放牧されていていいな~といつも思います。
ところが気にかかることがあります。それは牛の背中に名前が焼き印されていることです。さぞ熱かったことだろうと思うのです。しかし、逆に考えればこれで迷うことはありません。どこの牛なのかはっきりわかります。パウロは「イエスの焼き印を身に受けている」といいます。これは、私はキリストのものだ、それはパウロから絶対消えないしるしとして残っているというのです。
パウロの姿をみれば、イエスの焼き印がみえる。さて私達にはこのイエス様の焼き印がみえるでしょうか。なにか服を着込んで見えなくしていたりしてはいないか。どんなに隠しても隠し切れないイエス様の焼き印。それがじつは救いなのですが。