いったい自分はどのように人から見られているか?一度、自分以外の存在になって自分を見てみたいと思ったことがあります。自分が考える以上に、自分という存在はまったく違ってみえることでしょう。
ある大学のゼミで「人間ロボット」の製造をしたそうです。ある特定の人物にすべて似せて作られました。それは指導教授でした。まず教授の顔から型取りし、合成ゴムで表情をつくりました。その後、体重から、お腹の出具合からすべて同じように造られたのです。そして、行動やくせ、言葉から思考までをコンピューターに入力し、もう一人の教授を作り上げたのです。さて、そのロボット教授の公開をしたところ、学生たちは大喜びしました。そこにはもう一人の教授がいたからです。ところが、一人だけ「これはまったく似ていない」と叫びました。それは教授でした。「私はこんなことしないし、言わない。これは自分ではない」と。学生たちは「これが教授、あなたです」と答えたということでした。これは実際にあった話しです。自分は自分ではわからない。まさにそのことを教えられました。
最近、自分が書く文章、言う言葉、行動を点検しています。思いがけない風に伝わっていることが多いのではないかと。しかし、よくよく読んでみたり、振り返ってみると自分がわかってきます。その時の感情がそこにでているからです。「これは自分ではない」といったところで、心からでてくるものは否定できないと思います。
イエス様が教えてくださった「すべては心の中からでてくる」という御言葉を、もう一度自分に問いなおしてみたいと思います。