「神様のクレヨン4」が、少しずつ広がりをみせています。読んでくださった方々からの反応が届き始めました。多くの励ましに感謝しています。書き続けて20年。まだまだ道の途中だなと実感しているのですが。
さて、励ましのお便りの中で次のような言葉を多くいただきました。「教会事務局の働きも大切ですが、なぜあえて先生なのですか?」「立野牧師は現場にいてこそ生かされるのに、なぜ?」「教会の宣教が伸びないなか、先生が事務局にいるのは、枡の下に灯りをおくようなものもったいない」「私たちは現場で、先生の生きている説教を聞きたい」「もっともっと牧師家族、娘さんとの会話を書いてください。単身赴任ではクレヨンが生きてきません」「現場に戻ってきてください」。などなど。このような励ましのお言葉に涙がでてきました。立野は現場にいるべき。現場でこそ必要とされている牧師である。最大の励ましをいただいたと思います。
昨年4月からこの1年間現場を離れています。3月までは広島教会と兼務させて頂きましたので、大変なことではありましたが、それでも牧師は現場とのかかわりの中で生かされていることを実感していました。4月から現場をすべて離れたとき、この先の自分に不安になったのも事実です。いまは事務局長として、現場との兼務はできないとの判断で専任していますが、許されるならいまでも兼務をしたいと願っています。牧師は現場にあってはじめて牧師であることを改めて学んだからです。
ただ、いまは充電期間です。この専任事務局長の働きの中に神様が与え教えておられることをしっかり聴いているところです。残された20年の現役牧師生活のために、ミッションの再確認をしています。それが少しずつ見えてきたこの1年でした。神様が「さあ、現場に出て行きなさい」と言われるとき、喜んで宣教するための準備は着々と整えられています。