先月から「お弁当」をつくることにしました。朝5時に起床し、朝の祈りをしたのちにお弁当つくりです。おかずは前日の夜につくっておき、バランスを考えながら詰めていきます。基本は和食とし、かならず魚を入れる。など楽しくやっています。
単身赴任になって、気がつくことが多いものです。しかも「感謝」です。炊事洗濯からはじまり、掃除やら買い物やら。とにかく多くをのことを家族の誰かが担ってくれていたのです。まあほとんどは奥さんにですが。仕事をしながらこれだけのことをしてくれていたのかと感謝でいっぱいです。
さて、お弁当作りをはじめて思い出したことがあります。中学・高校の6年間、母が毎日作って持たせてくれていたなと。その頃は「もっと肉をいれて」とか「少ない」「おいしくなかった」など文句ばっかりいっていたなと。どれだけ感謝がたりなかったかを教えられます。まだ湯沸かし器などない時代、朝はやくから冷たい水で手を荒らしながら作ってくれていたのです。自分の仕事もあるのに、最優先で弁当を作ってくれていたのです。いま毎日弁当をつくりながら母を思い、ちょっと涙ぐむこともあります。やっぱり母親の愛は偉大だなと感じます。そんな偉大な母に育てられたこと、その母に感謝しつつ与えられた家族を守っていくとの恵みを思います。私の母だけが偉大ではありません。きっとどの家庭の母も偉大なのです。
単身赴任ということを通して神様が多くの気づきを与えてくださいます。これは見方を変えることでもあります。あたり前のように受けてきたことが、じつは大きな愛によって支えられていたことがわかるのです。キリストの十字架はどうでしょうか。十字架はあたり前の愛ではありません。あえて、ひとり子イエスを死に渡された出来事なのです。この「あえて」を見つけることができるでしょうか。
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