なんとガリラヤ湖に停車せず、バスは一路まっすぐに北上です。これからレバノンとの国境に向かうのです。途中でゴラン高原を通り、地雷地帯を通りぬけて行きます。いまは道路も整備されていました。私もバニアスには3回目ですが、最初に行った時にはバスが山道を崖から落ちそうになりながら北上したことを覚えています。ヘルモン山の残雪も綺麗でした。
さて、ついに「バニアス」(ほんとはパニアス)に到着。ここには必ず行かねばならなかったのです。というのも、パンフルートのAN先生を、パレスチナに一緒に行っていただくため、AN先生の心を動かそうと計画した場所だからです。(バニアスの話をするとAN先生は必ず興味をしめされるだろうと)
あの日広島のお好み焼き屋さん「よっちゃん」での会話。立野「AN先生、パレスチナに一緒にいってオリーブのパンの笛コンサートをしてください。いっしょに行きましょう」AN先生「はあ~」立野「先生にとって大切な場所がありますから」AN先生「はあ~」立野「レバノンとの国境にバニアスというところがあります。ここに紀元前の遺跡があります。そこにギリシャ語で『パンとニンフに捧げた神殿』というプレートがあります」AN先生「(目がキラリ)ええっ~」立野「そこはフィリポ・カイサリアという街で、古くはおおきな洞窟があり、そこが『牧神パンの神殿』だったのです」AN先生「それはすごい。そんな神殿があったのか」立野「そこで演奏することもできますよ」AN先生「ええええええええ~」とこんな感じでした。
じつは、ここには「パンの笛」の元祖、牧神パンの神殿があるのです。ニンフとはその牧神パンがおいかけた女性で葦になったという伝説があります。その葦を吹いたのが「パンの笛」のはじまりなんですね。これを話せばぜったいAN先生の心は動くはず!なんて不純な動機をもっていたのです。
それで、実現したのがAN先生によるパン神殿での奉献演奏。ここでパンの笛を吹いたのは先生が初めてでしょう。不思議な光がさしておりました。でも「しめしめ」と思ったのは、橋本会長と立野だったのかも。しかし、そんな計画とは別にAN先生はパレスチナでの活動に喜んで参加してくださったのです。感謝感謝でした。AN先生みずから時間をつくってくださり、パレスチナに共に行ってくださったというのがほんとの話です。AN先生の心の大きさと行動力、そして優しさに感謝します。
ちなみに、フィリポ・カイサリアとは、イエス様が弟子たちを連れていかれ「私を何者というか」と聞かれた場所です。ペトロは「メシアです」と信仰告白をしたところです。キリスト者にとっては忘れられない場所のひとつです。
その画像はhttp://asmile.jp/100608co-7.html
演奏の模様は
ここでも「Peaceful Wind」を演奏してくださいました。