マルコ 4:14 種をまく人は、神の言葉をまくのである
「種まきのたとえ」という有名なたとえ話があります。イエス様は、たとえを話されたあとで、弟子たちに説明を求められます。そこで語られたみ言葉です。イエス様は、種とは神のみ言葉あると教えられました。このたとえをとおして考えるならば、種まきが土地に関係なく種をまいたということですから、すべての人々に神様のみ言葉がまかれていることになります。
視覚障害者向けテープ雑誌「おとずれ」8月号録音の奉仕をさせていただきました。み言葉を伝える方法として視覚障害者の方々には、このテープ雑誌が神様からの贈り物です。しかし、神様のみ言葉を届けるというのは、大変難しい行為です。自分が伝わったと思うほど、全然伝わっていないからです。子供たちに話をしてみればよくわかります。自分が伝えたいと思えば思うほど、子供のほうから逃げていきます。ところが、必死になって語っていると、自分でもなんだかわからない話をよく覚えています。神様のみ言葉は、それだけで力があります。私たちがどんな細工しても、神様のみ言葉はただそれだけで力なのだと信じない限り、人々には伝わっていかないものです。
聖書を読むことも「神様の言葉」が自分にまかれることです。この御言葉から何を福音として受けたか。それだけを考えればよいのです。どんな福音を毎日いただいているか。それは自分の生きる糧になっているか。今日まかれた福音の種が芽を出すには、心を開いて種をうけいれることからです。
<音声朝礼は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>