ガラテヤ 2:11 非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。
パウロはペトロの行為を激しく非難しています。ペトロがヤコブ(主の兄弟)のもとから人が来るまでは、異邦人と食事を共にしていたのに、それ以後それをしなくなったからでした。パウロはこの行為を「信仰義認」という内容から「福音」と言う点でとらえなおしています。パウロにとっては納得できないものがあるのです。相手が、イエス様の一番弟子のペトロであっても「面とむかって反対」しています。これも同じ信仰をもち、信頼を土台にしているからできる行為だといえます。
休暇中に、近くの喫茶店に行ってみました。さすがに都会の避暑地らしく、みな美味しそうにアイス珈琲を飲んでいました。一人で涼んでいると、横に若い男女が入ってきました。アイス珈琲を注文するやいなや、それぞれが携帯電話をだして、自分の友達にメールをはじめたのです。その後一言の会話もなく、しばらくして「じゃそろそろいこうか」と店を出ていきました。この2人は会話しなくていいのかな?お互いのコミュニケーションはどうなっているのだろうか?そのうちに意思疎通もないままに「じゃ、別れようか」で関係が終わってしまうのかなと心配になりました。メールの発達とともに、お互いが向かい合って言葉を交わす会話力が低下しているのではないかと思います。会話のない世界を考えるだけでもぞっとしますが。
パウロはペトロに対して「面と向かって」反対をしています。顔と顔を合わせて、会話をしているのです。ここに2人の信頼関係が見えます。はっきり言うことができる関係だったのです。本人のいないところで批判することが多い私たちは、その関係に「信頼」というもがあるかどうかを問われているようです。
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