1月10日は、父が天に召されて30年目の記念日です。あの日も寒かったことを覚えています。あれからもう30年なんだなと思いました。阿蘇の立野村の実家に帰ると、D51(蒸気機関車)の模型と、プレートがあり、機関士だった父を思い出す記念品です。
さて、父の思い出といえば、そんなに多くはありません。3交代制勤務で、不規則な勤務でした。あまり時間が噛み合ってなかったのかもしれません。とくに休みが長くあるわけでなく、旅行などはしたことがありませ。キャッチボールをしてくれたこともなく、仕事一筋だったかなと思います。しかし、家にいるときはとても可愛がってもらいました。なんでもよく知っていて、とくに漢字の知識はずば抜けていました。小説家になりたかった父の夢を思います。とにかくどんな漢字でも知っている人でした。
そんな父親でしたので、大学の進路相談も、将来のことも話し合ったことはありません。すべて事後承諾だったのです。牧師になることも、神学校にいくことも、すべては事後承諾で相談などはしていませんでした。しかし、ルーテル神学大学に合格した時は、高校の先生をはじめ、知り合いに電話をかけて喜んでいたということをあとになって母にききました。それも天に召された日の夜のことでした。
父とは人生のことや、将来のことなど話しませんでしたが、後ろから応援してくれていたのだと思います。面とむかってはいえないけれど、子どもが進むと決めた道はきちんと応援しようという心を持っていてくれたのでしょう。結局何一つお礼の言葉も言えていませんが、父の夢であった「本を出版する」ことを、いま自分が出来ていることを思うとそれが父に対する感謝になっていると思います。もう30年。あとどれだけ出版できるかわからないけれど、父の夢を引き続きはたしていきたいと思います。神様はそのように導いてくださっていたのかと感謝しています。