2コリ 7:9 今は喜んでいます。あなたがたがただ悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。あなたがたが悲しんだのは神の御心に適ったことなので、わたしたちからは何の害も受けずに済みました。
パウロは、コリント教会の悔い改めを喜んでいます。パウロの「涙の手紙」によって、コリントの人々は悲しみは大きかったようです。かなり厳しい内容だったのでしょう。しかしその悲しみが一瞬で喜びにかわったと言っています。彼らが悔い改めたからです。コリントの人々の悲しみは、単なる悲しみではなく、彼らを悔い改めに導くものでした。パウロは「涙の手紙」を送ったことを後悔せず喜んでいます。コリントの人々が悲しんだのは、神の御心により悔い改めへ導かれるためでした。
ギリシャ語では「悔い改め」を「メタノイア」といいます。方向を変えるということです。自分勝手に歩いてきた道の方向を変えると言うことです。神様の愛にであい、神様と共に歩くという決心をすることです。実は、この神様の愛に出会うということが大切です。ある牧師に教えていただいたことですが、「悔い改め・メタノイア」を反対から読むと「アイノタメ」となります。偶然の一致ですが、悔い改めは何によっておこるか。それは神の愛によってなのです。
パウロは「今は喜んでいます」と言っています。「涙の手紙」によってコリントの人々を悲しませたことはパウロがよく知っていました。しかし、それは神様の御心にかなったことで、その手紙によって悔い改めることを待っていたのです。コリントの人々がそのように悔い改めことによって、パウロの中に大きな喜びが与えられたのでしょう。パウロはコリントの人々の罪に無関心ではいられなかったのです。愛の反対は無関心と言う言葉が響きます。
<音声朝礼は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>
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