マルコ 14:36 アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。
イエス様は過ぎ越しの食事ののち、オリブ山のふもとにあるゲッセマネの園に来られました。12人の弟子たちから離れ、3名の弟子に深い苦悩を告げられました。イエスさまの深い苦悩と悲しみは3度の祈りの激しい戦いのなかで、神様への服従にかわっていきました。
宮城県にある浜の漁協組合長さんのお宅へ訪問しました。その方は、奥さんを津波で奪われただけでなく、家族、親族の20名を津波で流され一人残されてしまいました。天に召された中には、小学生のお孫さんもおられます。たった一人になった組合長さんには都会にいる息子さんから一緒に住まないかと声をかけられました。その時、組合長はすでに引退されていたのです。ところが浜のみなさんが「私たちを捨てないでください。逃げていかないで」と懇願され、再び組合長になって浜の再生、漁協の復興を目指すことになったそうです。「私たちを捨てて逃げないでくれ」という言葉を組合長さんの口から聞いたとき、涙がでました。苦しみ痛みを避けて、そこから逃げることはできる。しかしそれが神様の御心かどうかを考え、そこに踏みとどまることは苦しみ痛みを増すことなのです。しかしそれでもそこで生きるしかない人たちのために残るというのです。
イエス様は十字架に向かう前、ゲッセマネの園で血の汗を流されながら「この杯をとりのけてください」と祈られました。しかし、神様の御心に適うという1点において従われ十字架にかかって下さったのです。自分のためならそれはできないことです。自分以外の人のためにあえて十字架を受けられるイエス様に、感謝し従うものでありたいものです。