被災地救援に入って、約4ヶ月になりました。仙台にやってきた3月ごろは、まだ氷点下でした。教会の床に座布団をしいて寝袋でねていました。あまりにも寒くて凍えていました。畳が入り、マットレスがきて、毛布が届き、それでも寒さとの戦いでした。あれから4ヶ月。いまはクーラーが早く設置されることを望んでいます。
最近、被災地の子どもたちのことをよく聞きます。「うちの子、円形脱毛症なんですよね」。いま被災地では小学校低学年の子どもたちの多くが、この脱毛症の症状がでています。深い体験を言葉にできずに、体に現れてきているといいます。言葉にしたくてもできない。言葉にできたらと思います。被災者の方々が何度も体験談を話されるのは、自分に語りかけ受け止めようとしておられるのでしょう。
小学校5年生の子どもはお母さんに次のように聞くそうです。「おかあさん心臓がとまったらどうなるの」「心臓はいつまで動くの」「心臓はいつ止まるの」と。きっと「死」の問題を考えているのだろうと思うと言われていました。実はあの大震災の時、流されていく多くの人たちを一緒に見ていたそうです。叫び声と悲鳴の中で時の過ぎるのをただ待つだけだったというのです。4ヶ月がたったいま、やっとそのことと向かい合っているといいます。長女は言葉で、次女は円形脱毛症で外にむけて発信しているのだと言われていました。
お母さんは2人の娘に、命のことを話すようにしていると言われました。命って何だろう。命の終わりって何だろうと。死を語らない命の話はない。死を通して命を考え、命を通して死を考えているそうです。これからもずっと子どもたちとの対話は続いていくことでしょう。しかし、これは家族の中で受け止めていかねばいけないからと教えていただけました。大きな痛みを家族で受け取っていくことの大変さを感じています。