仙台派遣から東京へ帰り、毎朝の通勤生活にもどりました。かなり不思議な気持ちがまだしています。力が抜けているせいでしょうか「のんびり」という感じです。ただ、事務仕事のなかで急に一瞬被災地がよみがえってきます。いまどうしているだろう。ボランティアさんはどこへいっているだろう。あの被災者の方は今日何をしておられるだろうと。まだ現場から離れられない自分を思うのです。
ルーテル救援対策本部会議が行われました。海外からの支援金はさらに届くそうです。先進国である日本へこれ以上の支援金を出す必要はないとの議論もあったと聞きます。しかし、日本の教会とのこれまでの関係があるドイツ、アメリカの教会が支援金の継続を約束してくださったといいます。現地に派遣されていた牧師として身が引き締まる思いがします。日本の教会が救援のために献金してくださった支援金と合わせて、現地でそれを用いることの責任を感じるからです。1円たりともおろそかにしてはならない。また缶詰1缶からも被災者に届けなければならないと思います。
現場から離れてみると、目の前には何億という予算があることを見ます。これを責任をもって用いていくことは大変なことなのだと思います。ここには献げてくださった方々の信仰の証がみえてくるからです。あそこにいくら、こっちにいくらという具合に机上で判断してはならない。その重さを今回の対策本部会議で感じました。
現地への派遣牧師はまだ決まっておりません。1日もはやく派遣牧師が与えられることを望んでいます。ルーテル教会救援の要は祈りです。その祈りを導き、配慮する牧師の存在を強く思います。現地の方々も「新しいルーテルさんはいつくるの?」と待っておられます。