マタイ 1:17 アブラハムからダビデまでの代は合わせて十四代、
イエス様の系図は、マタイ、ルカの福音書にしるされています。ただ、マタイは先祖からイエス様への系図を書き、ルカは先祖に遡っていきます。また、マタイには4人の女性の名前がでてきます。そして十四代で区切ってあるのも特徴です。系図の中に神様の導きと間があることを感じます。
テレビで「映画の最中にトイレにいきたくなったら」という話題がありました。最近ではネットで「映画中にトイレにいける時間」がわかるサイトがあるそうです。そこでは、映画中のストーリーや、後の展開に影響を及ぼさないシーンを調べ、その時間帯を教えてくれます。たとえば、この映画だったら何分後に何分間であれば見逃してもいいシーンがでてくると教えてくれます。その時にトイレにいこうというわけです。確かに便利なサイトだと思います。しかし、映画の中でそのようなシーンがあるということの意味を考えます。間でしょうか。ずっと緊張してみなければならないとしたら、結構きついかもしれないと思うのです。
イエス様の系図にも十四代ごとの間があります。また4人の女性の存在があります。その系図は読まなくてもいいという聖書の箇所ではなく、どの部分をとっても大切なところです。ここはいらない、読まなくてもよい箇所はありません。聖書の間は大切な時間です。
(本日熊本のため音声朝礼はお休みです)