ローマ 10:15 遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と書いてあるとおりです。
パウロは万人の救いに関して「信仰による義」を主張しています。そのなかで、神様を呼び求めるためには信じることが、信じるためには聞くことが、聞くためには宣べ伝えることが、宣べ伝えるためには遣われることが大切だと教えています。弟子たちの派遣と宣教活動は、福音を伝えることであるとのべています。
「何がニュースになるか」というエッセイを読みました。犬が人を噛んでもニュースにはならないが、人が犬を噛んだらニュースになると言われます。これは昔から言われていることです。ニュースとはめったに起こらないことが起こった時にニュースになるというわけです。ところが天気予報、株式、バーゲンセールもニュースになります。これは「多くの人が気になることを伝える」のもニュースだからです。そしてもう一つ「身近な出来事であること」もニュースです。
パウロは「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」というイザヤ書の言葉を引用しています。「良い知らせ」とは福音のことです。福音を「グッド・ニュース」といいます。イエス様が語られたみ言葉の中に、ニューースになる要素がすべて入っています。めったに起こらず、人が気になる、身近な出来事。聖書を読むとは、毎日わくわくするような福音にふれることです。
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