ルカ 12:42 主人が召し使いたちの上に立てて、時間どおりに食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。
イエス様は、おわりの時に備えて「常に目を覚まして待つ」ことを、「目を覚ましている僕」のたとえで教えられました。主人がいつ宴会から帰ってきてもいいように準備し、目を覚ましている僕はは幸いであると言うのです。ユダヤの夜の時間は3分割されており、夜、真夜中、夜明けとなります。そのとき、時間通りに仕事をすることの幸い、そして主人がそれを知る幸いを語っています。
生活にもリズムというものがあります。いつしか同じ時間どおりに生活しているのがわかります。そのリズムがちょっとでも狂うと、なんだか不安定な感じになるものです。ある時、忘れ物をしたために出勤時間に家に戻りました。するといつも乗る電車に乗り遅れてしまいました。たった10分のことですが、リズムがすべて混乱したように思います。たった10分でも、電車に乗っている人たち、その数、降りる駅など全く違って感じたのです。乗り継ぎも悪くなり、朝からなにか躓いてしまったような感じでした。これまで、生活のリズムなどあまり気に留めませんでした。いつのまにか自分で作り出している、自分のリズムがあります。一番心地よいリズムを刻むように生活しているのかもしれません。そう思うと共同生活するときのリズムも相手の立場に立って考えることも大切だと思います。
イエス様は「時間どおりに食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人」と言っておられます。主人のことをよく考えて行動している僕の話です。自分のことばかりでなく、神様が何をされようとしておられるか。私達はなにをするべきなのか。神様に忠実な僕とは何かを考えて生活していきたいと願います。
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