広島女学院理事会に出席のため、久しぶりに広島に帰りました。「帰る」という表現が微妙に違ってきている感じを受けます。広島教会に現場を持っていた頃は、広島に帰るという表現は普通でした。事務局専任になっても、家族が広島で生活をしていましたので、その頃もまだ帰るでした。家族が次女だけを残し上京して1年がたちました。すると帰るが行くになってきたのを感じたのです。自分の生活基盤はどこにあるかを考えてみました。どこに向かっていくことが帰ることなのか。やはり家族がいるところだと思います。
それでも、広島港の見えるマンションで海を眺めていると、なんだか安心感があります。ここにいて生活し、神様の恵みのもとたくさんの出会いがあった感謝しています。その出会いを数えていくうちに、やっぱりここもまた故郷だと実感しました。いまも目の前を四国松山行きの高速船が走っていきました。この高速船にのって松山教会の礼拝奉仕をしていました。続けて、似の島行きのフェリーが通りました。谷の百合幼稚園の宿泊保育のために何度島に渡ったことでしょうか。次は江田島行きです。こやってながめているだけで、たくさんの思いでが次から次と浮かび上がってきます。広島港を見ているだけでこれだけ浮かぶのですから、街中にいけばもっとかもしれません。
最近は広島に行くたびに、あちこち歩いています。運動も兼ねていますが、広島の空気を感じながら歩いていると、自分の中に宣教への熱意が浮かび上がってくるのです。いまは広島で直接宣教活動を行うことはできませんが、神様が広島で教えてくださったことを再認識しています。神様から遣わされて宣教した広島教会での12年はいったい何だったのかとも思い返しています。
事務局専任から現場に帰る時が近づいていると思います。事務局勤務の4年間、直接現場に出ることを止められてきました。しかし、現場に帰るのです。自分が牧師として召された人生は、現場にあるから帰るのです。現役牧師人生もあと20年となりました。うかうかしていられないですね。