ローマ 8:22 被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。
パウロは将来の栄光について語ります。神の霊のもとにある生は、キリストの栄光を共にする希望の中にあると告げます。いまは共に苦しむ生であっても、将来はキリストの栄光に包まれると。それゆえに「現在の苦しみ」と「将来の栄光」は比較できず、その栄光に包まれる約束に希望があるのです。希望があるから今の苦しみをうめきつつ忍耐することができるのです。
3月31日をもって東日本大震災救援活動を一区切りいたします。これまで伊藤文雄牧師と共に救援活動に関わってきました。4月から野口勝彦牧師が派遣されます。今週は2回、現地に訪れこれまでに出会った多くの被災者の方々に感謝とお別れの挨拶をしてきました。しかし、会うことができない方々もありました。3.11を境に職場を離れたかたもあります。痛み苦しみの中で、仮設に閉じこもってしまった方。失声症になった方もおられます。3.11まで一生懸命に耐えながら過ごしてこられたのです。その中に「うめき」をみました。悲しみ痛み苦しみがその人の深い深い所にとどめられ、うめきが聞こえてきます。それに対して何もできない自分を見せつけられいます。
パウロは「共にうめき、共に産みの苦しみを味わっている」といいます。将来の栄光があたえられると言う希望に立つこと。希望に生きる生は忍耐を産むといいます。その忍耐はうめきかもしれません。神様に対してうめくことができる。共にうめかざる得ない。しかしそこには神様に共に向かっているということを覚えておきたいと願います。
<音声朝礼は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>