マルコ 16:4 目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。
イエス様の復活の朝、墓にいった婦人たちは絶望の中にありました。イエス様が死なれたからです。この婦人たちはイエス様に油を塗るために香料を買っています。安息日が終わったらすぐにイエス様の葬式をしようと考えていたのです。その行為を深く考えれば、イエス様を死の中に納めておきたかったのです。悲しくてしかたなかったけれど、これですべてが終わると思っていたのかもしれません。
イエス様の死という悲しみと絶望の中にあって、なおイエス様にかかわろうとする婦人たちがそこにいました。「だれが石を転がしてくれるでしょうか」という言葉をマルコ福音書は記しています。弟子たちや従っていた人々が誰もいなくなった失望がありました。ところがその失望の中ですでに石は転がしてあったのです。マルコ福音書は続けて「石は非常に大きかったのである」と記されています。イエス様時代の墓は岩をくりぬいて作られていました。その入口は円盤状の石で塞がれていたようです。その石を動かかすには兵士でも数人必要でした。
イエス様の復活の出来事が「石は非常に大きかった」の中に示されています。復活の力強さと、絶望している者たちへの優しさです。婦人たちではどうすることもできない大きな石を、すでに転がしておいてくださる。「ほら、きてごらん」と墓の中に招かれたのでした。覗いてみるとそこには輝く衣をきた二人の人がいました。そして、「あの方はここにはおられない。復活なさったのだ」と告げたのです。
東日本大震災の被災者の多くは、まだ痛み、苦しみ、嘆きの中にあります。それは大きな石となって前を塞いでいるように思えます。しかし、復活の主はそこに寄り添い、大きな石をとりのけ希望への道を備えて下さっていることを信じています。
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