ヨハネ 8:43 わたしの言っていることが、なぜ分からないのか。それは、わたしの言葉を聞くことができないからだ。
ヨハネ福音書では、イエス様とユダヤ人とのエルサレムでの論争が記されています。論点は「イエスは何者であるか」「どこからきて、どこへいくのか」というものでした。この論争によって、人々がイエス様を神の子として受け入れないことが明確にされていきました。本日のみ言葉は論争の途中で言われたことです。イエス様のみ言葉がわからない最大の理由は、「わたしの言葉を聞くことができないから」と言われています。本当に聞くとは、その言葉を受け止め、理解し、悟るということです。
人の話を聞くということは大変難しいことです。会議だけでなくお互いの会話においてもあてはまります。意見が対立した場合は、相手を理解するよりも自分を理解してほしいと思います。相手の話を聞くのではなく、対立した意見にどう答えようかと考えています。ある会社では「トーキングボール」というものがあるそうです。その会議ではボールをもった人だけが話すことができます。そして十分に聞いてもらえたと思った時、次の発言者にボールを渡すといいます。ここで大切なことは、十分に話を聞いてもらえたと感じるということです。会議でも会話でもこの感覚が得られないことが、会議がうまくまとまらないことの原因だそうです。
イエス様は「わたしの言葉を聞くことができないからだ」と言われています。聞くことはとても難しいことです。それ以上に聞いて理解してもらうのも難しいことです。この両方に関係するのは、聞くことは2人以上の関係で成り立つということです。自分だけでは聞いて理解してもらうことはできません。重要なことはお互いを本当に受け止める心です。そのような関係がある時に、聞くということが成り立つのです。
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