マタイ1:19 「夫ヨセフは正しい人であった」
マタイ福音書にもクリスマスの記事があります。その中で、夫ヨセフは「正しい人であった」とあります。マリアは聖霊によって身重になります。しかし婚約はしていたが、結婚していなかったということでひそかに離縁しようします。この行いに対してマタイは「夫ヨセフは正しい人であった」と記しています。「正しい」という表現は、神様に対して完璧な人という意味ではありません。やるべきことをきちんとする信仰者という意味です。しかし正しい信仰者は、最後には神様にお任せすることができるのです。この信仰が「正しい人」と呼ばれたのでしょう。
家族であるレストランにいきました。長女がカクテルを注文したところ、年齢を証明するものを提示してほしいと言われました。20歳以下にはアルコールは出さないという決まりがあるのでしょう。このレストランは決められたことを完璧にする教育をしているのだなと思いました。しかし、家族で来ていて親がそこにいて、長女がアルコールを注文することを認めているのに、あえて調べる必要があるのかと思いました。もしかすると親も信頼されない時代になったのでしょうか。完璧な仕事は素晴らしいですが、正しい仕事をするという見方だとどうなるかなと考えてしまいました。
マタイ福音書はヨセフを「正しい人であった」と記しています。神様から与えられたみ言葉に立って、やるべきことをやる人でした。それは完璧ではなかったかもしれませんが、できることはして神様にお任せする人でした。事務局の仕事も、正しく行っていきましょう。やることはきちんとして、最後は神様にお任せするという仕事の仕方が大切です。私たちは完璧主義ではなく、神様の働きを正しく行っていく責任があります。
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