「牧師の起床時間は朝6時、教会の扉を開けるのは7時」と、神学校卒業のとき実践神学の伊藤文雄先生に教えられました。そのことを大江教会に赴任して思い出しました。若い頃は朝早く起きるのは苦手でした。といっても就寝が2時3時でしたので、起きることができませんでした。もう50歳を過ぎましたから、5時には目が覚めるようになりました。その代り早く眠くなります。
大江教会の朝は、教会招き猫を出すことからはじまります。その後、教会中の窓を全開にします。朝の風がスゥ~~と入ってきて、これが心地よいです。それから蚊取り線香をつけ、花壇に水をやり、オルガンCDをかけるという具合です。ところが最近はここに祈りの時間が加わりました。
7月の大雨の時、納骨堂に雨水が入り込みました。まもなく浸水を防ぐ工事が行われますが、納骨堂の換気、乾燥のために毎朝納骨堂の扉もあけることにしました。すると自然とそこで祈るようになったのです。毎朝納骨堂で短く大江教会、信徒の方々を覚えて祈るときを持っています。召天者の方々に囲まれ、共に祈るときが与えられ、とても心が平安に満たされています。また先週はお盆ということもあって、毎日ご遺族がこられて祈ってくださいました。
ヘブライ人への手紙には「昔の人たちは、この信仰ゆえに神に認められました」とあります。毎日納骨堂に入るたびに、「この信仰ゆえに」という御言葉が聞こえてきます。神様から与えられた信仰ゆえに、ここにおられる。家族の信仰に導かれてここにおられる。すべて信仰ゆえに神様の国で私たちのために祈っていてくださる。その事実が私たちを強めてくださるのです。
今日もまた納骨堂の扉はあいています。礼拝の讃美の声は納骨堂でも共に響いています。神様の国での礼拝に、賛美の声が届いているのです。