ローマ10:15 良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか。
パウロは「万民の救い」ということで、信仰による義について語ります。私たちはイエス様の福音(よい知らせ)に召されています。そのことを伝えることの喜びと祝福をのべています。パウロは呼び求めるには信じることが、信じるためには聞くことが、聞くためには宣べ伝えることが、そして宣べ伝えるためには遣わされることが必要と言っています。その伝える者の足は「なんと美しい」と表現しています。本来、よい知らせを伝えることは美しいものです。
アフリカのサハラ砂漠で援助活動をしていたシスターの話をきいたことがあります。毎日ひとりで砂漠の真ん中に行き夕日を眺めていたそうです。乾いた大地に太陽が吸い込まれていく自然の素晴らしさは言葉にならないと。私もぜひ見てみたいですが・・・。日が沈むと太鼓の音が聞こえてくる。あちこちから違うリズムの音がしてきて、美しく心地よかったといわれるのです。その太鼓の音は、じつはお母さんの言葉だそうです。「御飯ができたよ!」と家族を呼ぶときに、太鼓を使うそうです。それぞれの家庭にリズムがあり、遠くまで聞こえる太鼓の音で言葉を伝えている。その音は母親の言葉だから優しい心地よい音なのでしょう。シスターが美しいと感じたのは、神様の創造された自然の中で愛のある言葉を聞いたからだと思います。
パウロは「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と言っています。私たちは太鼓ではなく、イエス様のみ言葉で福音を伝えます。伝える時にはそこに聞く人がいます。伝えるのは一方的な作業ではなく、聞く人がいて初めて成り立ちます。だとすると、伝える人は聞く人への配慮を考えねばなりません。これはコミュニケーションですから、伝え方が美しいと思えように伝えねばなりません。どうすれば美しく伝えることができおるか。イエス様のみ言葉を信じて、祈って言葉を発することで美しく伝わると思います。
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