イザヤ 40:31 主に望みをおく人は新たな力を得る
イザヤ書は大きく2つに分けられます。本日の箇所は第2イザヤといわれる部分の最初にある預言のことばです。神様の到来によってもたらされる苦しみからの解放(バビロン捕囚からの解放)の喜びが、預言者イザヤに天から告げられ、そして民に伝えられました。イザヤは「慰めよ、わたしの民を慰めよ」と言っています。イスラエルの民は半世紀における捕囚という苦しみの中にありました。もはや自分たちは神様から見捨てられたと思っていたのです。しかし、神様のみ言葉が苦しみ嘆く民に届いたのです。この神様に望みを置くということは、力を得ることだったのです。
私たちの人生に力を与えてくれるのは何でしょうか。友達、家族、お金、もの、趣味。イザヤは「主に望みをおく」と言います。私たちは見えるものではなく、見えないもの「神様」に望みをおくときに「新たな力」を得ることができるというのです。
学生の頃、10歳の少女の白血病治療に協力したことがあります。毎月1回成分輸血という血小板だけをとりだして輸血をさせていただきました。その彼女は天に召される1ヶ月前に、たった一度だけ病室で会うことができました。お父さんと一緒に聖書の話をし、彼女はこのように言いました。「パパ、昨日聖書を読んでいたらイザヤっていうところに『主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼をはって上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない』と書いてあった。神様の国にいったら、病気なおるよね。走れるね。家族でいっしょにご飯たべられるね。それに空も飛べるよね。神様が教えてくれた」と。
イザヤは「主に望みをおく人は新たな力を得る」と預言しました。自分の死を前にして復活の命について受けとめていた彼女。主のみ言葉に望みをおいた彼女は新しい力を得ていました。私たちもこの教会に集められて働きを託されています。主に望みを置きつつ、今日も新しい力を得てともに過ごしましょう。
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