2コリ 4:18 わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。
ある遊園地のお化け屋敷にいきました。そこではまず1つの部屋に数十人が入れられ、お化け屋敷の案内人の声がします。壁掛けの絵から声が聞こえてくるのですが、その絵が少しずつ縦に伸びていくのです。「なんで」と驚きました。すると隣にいた娘が、「お父さん、これ部屋全体がエレベーターで、床が下がっているだけだよ」と教えてくれました。見えるものに頼っていると、騙されることが多いのでしょう。冷静になって考えると「なあんだ」と思いました。
パウロはコリントにいる信徒たちにむけて、信仰によって生きる励ましを伝えます。「四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」と、はっきり宣言しています。そこまではっきり言えるのは、「見えるもの」ではなく「見えないもの」の力を知っているからです。神様に関わることは「見えない」ことが多いものです。しかしそれを信じる「信仰」が私たちを救いへと導くのです。
イギリスの民話に「幸せな粉ひき」という話があります。この粉ひきは毎日川辺で粉を引きながら「この川辺にすむ私は国一番の果報者・・・」と歌っていました。その評判が王様の耳にもとどきました。王様はその粉ひきがどうしてそんなに幸せかを知りたいと思いました。王様は粉ひきに会い「なぜ毎日幸せなのか」と聞きました。すると粉ひきは「私は妻を愛します。子供を愛します。友達を愛します。私を、妻も愛してくれます。子供も愛してくれます。友達も愛してくれます。借金は一文もありません。ただそれだけでございます」と答えました。国王はう~んと唸ったまま「うらやましい」と言ったという話です。本当の幸せとは何か、それは見えない、しかしそこにあるものだと思います。
パウロは「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます」と教えています。見えるものに騙されることはよくあります。心の状態も同じです。試練、患難、苦しさだけに目をとめていると、そこで神様が示されている見えない恵みに気がつきません。その時に何を神様が教えておられるか理解できないのです。見えない神様の恵みや出来事に目を注ぐ信仰をもって今日の一日を歩みましょう。
<音声朝礼拝は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>
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