道端で言い争っている人たちを見かけると、どっちもどっちだなと思うことがあります。何もこんな所で、しかも大きな声で喧嘩しなくてもいいのにと思うのです。しかし、当事者は真剣なのだと思います。それだからこそ滑稽にみえてしまうのです。
先日のことでした。広島からの帰り、熊本駅で電車にのりました。少しお年寄りの方が乗ってこられ、席をゆずってもらい腰かけておられました。すると次の停留所で2人のやや年配の女性が乗ってこられました。そしてそのお年寄りの前に立ったことから事件(ささいなことですが)がはじまりました。2人の女性は大きな声で話しだしたのです。しかもその内容があまり聞きたくないような事柄でした。大きな声で話すので電車の中に響き渡っていました。
すると突然2人の目の前に腰かけていたお年寄りが怒鳴り始めました。「あんたたち、ここは公衆の場だぞ。静かにせんかい。常識はなかとか」と。確かに言う通りです。それからが問題。「しかも話ばきいとると、人の悪口ばっかりじゃなかつか。恥ずかしくなかか」と。まだまだそこまでは。極めつけは「おまけに旦那の悪口の多さ。誰に食わせてもろうとるんか」と。そしてさらにエスカレート。こんどはその声が電車中に響き渡っていました。なかなか終わりません。それから通町筋まで延々と説教が続いたのです。はじめはいいこと言うな~とおもっていましたが、結局どっちもどっちだなと思ったのです。
イエス様は「人にしてほしくないことは、人にもしてはならない」と教えられました。自分を客観化できればいいのですが、おれがむずかしいのです。ちょっと考えて、これは自分にされたらどうか、自分に言われたらどうかを考えて自分が行動することができればいいのですが。電車のなかでの出来事ですが、滑稽にみえながらイエス様のみ言葉を思い出すひとときでした。