マルコ15:46 ヨセフは亜麻布を買い、イエスを十字架から降ろしてその布で巻き、岩を掘って作った墓の中に納め、墓の入り口には石を転がしておいた
十字架の道行の旅も最後となりました。名取市閖上から海岸線を北上しながらの巡礼の旅でした。最後は「北上総合支所」です。ここは災害時の避難所としえ指定がありました。隣には吉浜小学校もあり、子どもたちはここに避難してきました。しかし、ここは海岸にたっているのです。あの津波で建物全体が波をかぶり、破壊されてしまいました。津波がくる直前のことだったといいます。あるお父さんは小学生の息子さんの携帯に電話をかけました。すると「大丈夫だよ。総合支所に避難しているから」と答えていたそのときに津波がやってきたそうです。電話はとぎれ、それ以後再びあうことはできなかったのです。いまもまだ。どうして海岸に総合支所はあったのか。なぜそこが避難指定の場所だったのか。何度も問いかけられたことでしょう。しかし、いまはもう何もなくなってしまい、ただ広場があるだけです。ここに立つとき、死と命について考えます。私たちの死もまた、神様の御手の中にるのだと。
イエス様は十字架から降ろされました。その時には、群衆はもうそこにはいませんでした。ただひっそりとイエス様がおかかりになったままで、十字架が立っていました。あまりにも痛まく、あまりにも悲しい状況がそこにありました。しかし、それこそが十字架なのです。神の御子は最後まで一人で罪を担われたのです。私たち十字架と共に歩くとき、まことの神の子の死に出会い、そこから復活への道を始めるのです。
【第十三留 イエス、十字架より降ろされる】
司式:大勢の人々が立ち去ったあと、そこには少数の従う者と婦人たちだけになりました。アリマタヤのヨセフはピラトに願いでて、十字架から主の体を降ろしました。
まことに主は死なれました。それは、一人の人間の死、一人の英雄の死ではなく、死によって死を滅ぼす、まことの神の子の死であった。
一同:あなたと共に葬られ、あなたと共によみがえらせてください。
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