先週から次女との生活がはじまりました。やや緊張感をもって過ごしています。一人身のときは、時間が自由でした。朝の起床時間はかわりませんが、夕方からの時間は、食事を共にしますので、自分勝手な時間配分ではゆるされません。また、食事に関しても気を使うようになりました。一人で生活する自由と、共同生活する中での自由の違いを教えられています。
一方、一人でないことの楽しさもあります。教会から帰っても灯りのついてない牧師館に帰るさみしさ。冬の寒い日の切なさは言葉では言い表せません。それが、帰ったら人の温もりがあるのです。灯りがついているのです。こんなに嬉しいことはありません。また力強いものです。精神的にも安定してきているのがわかります。イエス様が弟子を2人ずつ遣わされた意味がわかりました。一人よりも二人の方が、数倍も安定するのです。一人で祈るとき、二人で祈るとき、それぞれの恵みを感謝しています。
復活のことを「灯りのともる家」と表現した人がいました。死を迎えたのち、真っ暗なトンネルを歩いて死後の世界へ旅立っていく。しかし。真っ暗に見えるトンネルも、はるか向こう側には灯りのともる一軒の家が見える。そこには暖かいベッドと暖かいスープを用意するお母さんがいる。そう信じた時、急いでその家に走っていく。そして玄関の扉を開けるなり叫ぶのです。「神様、ただいま!」と。
復活の出来事は、私たちをこの世界から神様の国へ招かれるできごとです。この世の死はおわりでなく、神様の家に帰っていくにはどうしても死を経験しなければいけないのです。怖くて、さみしくて、つらいと思うかもしれません。しかし、灯りのついた神様の家では、居場所を作ってまっていてくださるお方がおられるのです。イエス様は場所を用意しに行くと約束されました。その場所は希望の光に照らされた、暖かい故郷の家です。帰りたくなる家です。今日も牧師館には灯りがついていることでしょう。