洋服を自分で買ったことはあまりありませんでした。与えられた服を着るのに何も考えずにいました。ですから、同じ服を何年着てもいいかなと言う具合です。ネクタイも同じで、きっと人から見たらまた同じだ~と言われているかもしれません。まあ、興味がないのです。
しかし、ある時から靴は自分で選ぶようになりました。そのある時とは、世界を旅しはじめてからです。いまはドイツ製の靴が一番気に入っております。同じ形のものを履きつぶしてもう10足目くらいでしょうか。本当に大好きです。
先週のことでした。九州学院に聖書科授業に行ったときある生徒さんに「先生の靴、ボロボロですね」と言われました。実は少し気になっていてそろそろ11足目にしようかと思っていたところでした。あ靴底に穴は開いているし、後ろは皮が破れているし。自分でもなんでこんなになるまで履いているのだろうと考えてしまいました。それは愛着というか、私の人生の苦しいときにいつも一緒にいて足元を支えてくれたからです。
この靴は、パレスチナで紛争に巻き込まれた時一緒に逃げました。ドイツ・ハノファーの大聖堂で説教した時に支えてくれました。タイの津波救援では塩水をかぶり、インドネシアのキャンプでは一緒に寝て、アメリカではロングビーチを走り、イスラエルではガリラヤ湖で滑り、そして東日本大震災では凍てつく大地を踏みしめてきました。よく考えると、神様が派遣されるところにどこでもいっしょでした。しかもボロボロになりながらも支えてくれたのです。だからこそ最後まで大切にしたいと思ったのです。
「靴ボロボロですね」。その言葉で、そうだこの靴は私のイエス様なのだと気が付きました。どこまでも共にいてくださり、自分がボロボロになっても支えてくださる。なんという幸せなことだろうかと。新しい靴が来ました。また一歩イエス様と踏み出します。