牧師生活27年目を過ごしています。最近、自分が説教壇に初めて立ったのはいつだろうと考えていました。たぶん、神学校に入学して2年目年の4月でした。大岡山教会の牧師であった北尾一郎先生から「ぜひ受苦日礼拝で説教を」と依頼されたのです。まさか神学大学2年18歳で説教させていただくとは。しかも受苦日礼拝に。緊張から心臓が口から飛び出るような気持ちになったものでした。
その経験は大きな恵みでした。その時から神学校卒業までに73回の説教をさせていただきました。普通は1年に1回もしくは2回ですので、これは破格の数字でした。説教することの喜びと祝福をたくさん経験させていただいたのです。
さて、大江教会の中高生も元気はつらつです。ルーテル学院高校の崔チャプレンから電話を頂きました。「大江教会の新美愛さんが、学院の朝礼拝で素晴らしいメッセージをしてくださいましたよ」と。ルーテル学院に4月入学した愛さんは、礼拝が大好きで、自分からチャペルでメッセージを語りたいと直訴したとか。ルーテル学院の歴史で初めてじゃないかと校長先生も言われていました。愛さんが説教の準備をしていることは知っていました。聖書箇所の選びから、説教の作成、導入をどうするかなど。まさに牧師が説教を作るのと同じやり方でメッセージを組み立てたようです。原稿も読ませていただきました。御言葉に真剣に取り組んでいる様子がわかり、神様と家族、教会に育てられてきたのだなと実感しました。
み言葉を友達に語りたい。素晴らしい宣教者です。私達は大江教会において、一人一人が宣教者であることを教えられました。毎週の礼拝で「仕えましょう、主と隣人に」と言う言葉で派遣されます。自分たちの生きている場所で御言葉の宣教者になる。このために毎週の礼拝があります。愛さんがそれを実践してくれたのです。感謝。