ヨハネ 5:41 あなたたちの内には神への愛がないことを、わたしは知っている。
日本人が好きな言葉の第1位は「ありがとう」という言葉です。そして第2位は「愛」です。しかし、よく考えてみるとみんなが好きなのは「愛」ではなく「愛する」ではないかと思います。もっと言えば「愛される」ということの方が好きかもしれません。「愛」という言葉はあまりにも漠然としていて、「愛」って何と問うこともあります。愛がわからないのは、そもそも人間には愛がないから。愛は神様のものだからという表現になんとなく納得してしまいます。
イエス様はベトサダと呼ばれる池で、38年も病気で苦しんでいた人を癒されました。季節はユダヤ人の祭りのときだったと書かれています。またその日は安息日でした。そのことに関してユダヤ人たちはイエス様を批判し始めました。彼らの律法によっては、安息日には仕事をしてはいけないからでした。その批判に対してイエス様が言われたのです。
さて、本日の箇所はイエス様の厳しい御言葉です。もし、私達がイエス様にそのように言われたとしたら、「はい、そのとおりです」と言うほかありません。しかし、愛はどこにあるのかと考えてみると、それは神様のもとにしかないことがわかります。私達は自分に愛があると考えています。だから、自分勝手になったり、傲慢になったりするのでしょう。愛はもともと人間のものではないとわかれば、愛を求める以外にありません。
神様を受け入れることは、神様の愛を受け入れることだと思います。神様の愛を受け入れる時だといえます。自分をしっかり見つめてみると、そこに「罪」をみいだします。そのときに「こんな私のために」と十字架がみえてきます。十字架が私たちに与えられていることは神様の恵みです。
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