マタイ 8:20 人の子には枕する所もない
テレビでは「猛暑の中での安眠方法」という特集をやっています。猛暑を乗り切るのは、夜良く寝る事だと言っていました。そのために、クーラーの使い方や、水分の取り方、昼間の15分の昼寝など様々な方法を紹介していました。しかし、これは猛暑に限ったことでなく、いつもこの安眠をテーマにした特集はやっています。人は安眠したいと思っていても、安眠できてないという実感があるのでしょうか。寝る場所と枕があるだけでもいいなと思ってしまいますが。
イエス様は、自分に従おうとする者に対して、その厳しさを教えられました。そこに使われたのが2つの話です。その一つ、律法学者が「どこへでも従ってまいります」と言った言葉に対して、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」と言われたのです。イエス様がなそうとされている十字架の出来事への厳しさ、それでも従うかという決意を求めるものでした。
2年前まで、月の半分以上を会議や講演で留守する生活をしていました。どこへいっても宿泊は確保してありますので、肉体的には大変ではありません。むしろ大変なのは会議の席に座っていることでした。しかし、精神的にはどうだったでしょうか。これは不安でたまりませんでした。教会、信者、家族と離れていること。やはり、神様に与えられた場所で、神様に与えられた人々と一緒にいるのが一番の安心なのです。
イエス様は「枕する」と言われました。これは単に寝る場所を確保するといことではありません。しかし、「枕」が意味する平安は何かと考えてみますと、最終的には安心して死ぬことではないでしょうか。イエス様がこの世で「枕する所」はありませんでした。むしろ、私たちが安心して枕するために、十字架にかかられ、安心して枕するために復活してくださったのです。私たちたちはどんなに離れていても、イエス様にあってひとつだという真実が、平安を生みだしていくのです。私たちの枕するところは、イエス様のみ言葉の中にしかないのです。
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