今年の夏は九州学院の生徒さんが礼拝に出席するプログラムが再開されました。嬉しいことです。年に1回でも礼拝に出席してくだされば、教会との距離も少し縮まりそこからつながるチャンスも広がってきます。
先週は学生さんから電話での問い合わせがありました。日曜日以外の週日礼拝は大江教会の他にはあるのでしょうか。朝礼拝に参加したいのですがという電話でした。そしてさっそく朝礼拝に来てくれました。しかも2人で礼拝堂の一番前の席に座って。とても微笑ましい光景でした。また運動部の学生さんは教会にきて「来週の礼拝の予約にきました」と挨拶を受けました。この「予約」という言葉に少し戸惑いを感じました。学校で礼拝に行くときにはきちんと教会のことを調べて連絡すると言うことを伝えられているのでしょう。その中に「予約」という丁寧な表現になったのでしょう。
さて、この「予約」という表現は、私達の教会にとってどんな意味があるのかを考えてみました。教会って「予約」が必要と考えるほど、敷居が高いのかもしれません。これまでの教会でいつも思っていたことは、教会が整えられ、楽しい礼拝、喜びが教会の中に増えてきても「招く」ということを忘れていないかです。ルーテル教会の弱いところは「一人でも多くの人々を招く」という姿勢が足りないことかなと。私たちの教会にぜひ人を招きたいという思いと実践がなければ礼拝平均は増えていきません。天に召された石橋幸男牧師はことあるごとに「お客さん信者の多い教会は決して伸びない」と言われていました。私達はお客さんではなく宣教者として招かれているということでしょう。
予約せず参加できる教会を、予約せねばと思う教会にしてはいけないと思います。