8月31日で53歳になりました。なんだか不思議な気分です。自分がもう50歳を過ぎて、しかも3年も経っているのですから。
43歳からの10年は「変化」がテーマでした。5回も引っ越しています。その間に単身赴任が4年もあり、東北で暮らした1年もあります。自分の人生にとっては「激動」であったなと思います。しかし、そのような中でいつも、道が開かれ、用いられ、さらに新しいことに挑戦させていただきました。そこで得た恵みがこれから生かされてくると信じています。
広島教会での14年、事務局での4年。そして大江教会に派遣されて2年。教会の現場から離れて眺めたルーテル教会は、もがき苦しんでいるように感じていました。どうすればいいのかわからない状態。このままでは教会はなくなってしまうという危機感を持っている。誰もがそれを感じているけれど、あえて表面にださずに「なんだか大丈夫」という得体のしれない安心感があるような。とても不思議な印象でした。外に向けての宣教の話は聞くことがなく、内向きの話をたくさん聞きました。その多くはどうやって牧師給を捻出するか、教会を維持するかという話でした。これはルーテル教会に限ったことではありません。どの教団もあえぎ苦しんでいるのです。そのことを事務局にいて毎日のようにデータで突き付けられていた気分でした。でもその経験があっていまがあります。
教会の現場に戻りたい。外に向けての宣教をしなければ、教会内に留まってはいけない。出かけて行って集めてこなきゃ。イエス様がそう言われている。現場を離れ、現場に帰ってきたからこそできることがある。誕生日の祈りは、目指せ100人礼拝でした。神様が備えて下さる道が必ずあると信じて歩んでいきます。