テモテ 2:6 労苦している農夫こそ、最初に収穫の分け前にあずかるべきです。
神学生だった頃です。400ccのオートバイを買って、あちこちと旅をしていました。学校も行かずに放浪していた時がありました。いきあたりばったりでしたので、お金も持たずに出かけていました。あるとき長野県でガス欠になり、お金もなく途方に暮れているとおばさんが稲刈りのバイトに雇ってくれました。はじめてお米の収穫という大変な作業にかかわりました。その時の衝撃はいまでも忘れられません。
パウロは日常生活に煩わされないように、兵士、競技者、農夫という3つのたとえを語っています。兵士は司令官に忠誠をつくして喜ばれ、競技者は規定に従って競技をして栄冠を受け、農夫は労苦の代償として収穫をえると教えます。パウロの解説はありませんが、それぞれに神様からいただく恵みを覚えて日常生活の煩いを取りのけるようにということです。パウロの時代の教会も、金銭問題で苦労をしていました。教会指導者の報酬は妥当な範囲内で受け取り、妥当な範囲内で支払うようにとパウロが諭していると考えられています
秋になり、収穫の季節を迎えました。田圃の稲も刈り入れを待っているようです。はじめて東北の稲刈りをみました。震災後は海水が田圃にはいり、稲が育たないかもしれないと言われていました。また田圃にはいった瓦礫撤去も問題でした。しかし、米をつくる人達の熱い思いが稲刈りまでこぎつけたという感じをうけました稲刈り前の田圃はまさに「黄金色(こがねいろ)」でした。東北の稲の素晴らしさをこの「黄金色」に見ることができました。私にとって、いままでに見たこともない輝きだったのです。
パウロは「労苦している農夫こそ、最初に収穫の分け前にあずかるべきです」と言っています。大震災後は田圃の再生があり、風評被害の恐れがありました。しかしその中で必死に耐えながら米を造られた労苦を神様は知っておられます。最初の収穫の喜びは神様からの恵みです。私たちの労苦も同じように、収穫において神様の恵みとなります。
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