ヨハネ 8:43 わたしの言っていることが、なぜ分からないのか。それは、わたしの言葉を聞くことができないからだ。
最近耳が遠くなったように思います。というのも娘が言っていることが聞こえないことがあります。いや、聞こえないのではなく、聞いていないのです。自分でも自覚がでてきました。話を上の空で聞いていることが多いのです。娘が「お父さんは人の話を全く聞いてない」と言われるたびに、そうではないと否定してきました。しかし、最近改めて自分を見ていると娘の言うとおりだと思いました。反省しきりです。
イエス様を信じたユダヤ人に対して「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である」と言われました。続けて、イエス様の言葉にとどまるなら「真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」と約束されました。この言葉に対して人々は、イエス様の言葉を信じることができませんでした。できなかった理由は「イエス様の言葉を『聞く』ことができなかった」からです。神様のみ言葉であっても「聞くこと」は大変難しいことです。
人の話を「まず聞く」ことがカウンセリングの基本といわれます。しかし、人の話を聞くことほど難しいものはありません。なぜなら人は自分の話を聞いてもらいたいからです。自分をまず理解してほしいと考えています。聞くというのは、まず相手を理解しなければなりません。相手にまず自分を理解させて、というのでは聞くことにはなりません。ある本に「聞き下手5カ条」というものがあります。「1、上の空。2、聞いているふりをする。3、選択的に聞く。4、ことばだけ聞く。5、自己中心的に聞く。」です。まず自分からをやめなければ聞くことはできません。
イエス様は「わたしの言葉を聞くことができないからだ」と言われました。イエス様の言葉を聞く場合、その言葉だけを聞くのではありません。私たちの心から耳を傾けなければなりません。目と胸と耳で聞くことが大切です。言葉を聞くということは、イエス様の存在の全てを聞くということにつながります。まず自分からイエス様の前に心を開いていなければ、言葉は聞こえてこないのです。
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