毎朝の礼拝後に教会を外から眺めることがあります。「もし自分がはじめて教会にきたとしたら」という視点で眺めています。私たちはこの建物が教会であるとわかっていますので、何も感じないかもしれません。しかしもし「はじめて」だったら。
牧師になって徳山教会に赴任したのは26歳のときでした。団地の中にある教会でした。交通機関も便利でなく、中学校と団地に挟まれたところにありました。そのとき、この教会はどう見えているかを調べてみました。当時出たばかりのビデオカメラを買っていろいろな方向から撮影してはそれを何度も見ていたのです。そのときわかったことは、教会とはわからないということでした。私たち中にいる信者にとっては教会だけれど、初めて来る方にはそこがどこかわからない。中で何が行われているがわからない。中に入ると出られないような恐れを感じる。そこで、いかに教会の外におられる方にアピールするかを考えました。まず教会の正面にイエス様の像を置く。教会の塔に鐘を設置し毎日響かせる(時計代わり)。さらに大きな看板をつける。「ルター派キリスト教会・日本福音ルーテル徳山教会」。24時間扉を開ける。毎日地域のサークルに部屋を貸す。等々。そうやって毎週礼拝15名の教会は、クリスマス100名礼拝をするまでになりました。
さて、大江教会はどうでしょうか。皆さんがもし初めて教会の前に立った時、この建物は教会とわかるか。先日こんな声が聞こえました。「こんなところに公民館がある」。私たちにとって教会ですが、それは内部だけの見え方かもしれません。この建物、礼拝堂が教会であると初めての人にわかるように。大江教会の視点を変えていかねばなりません。
宣教の方向は内に向かうのでなく、外に向かうということを共に考えましょう。