マタイ 20:12 最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。
ある年の誕生日は、シンガポールへの飛行機のなかでお祝いしていただきました。その時、いままでにない誕生プレゼントをいただきました。それは「一時間」です。西にむかって飛んでいくわけですから、時間が戻っていきます。シンガポールと日本の時差は、ちょうど「一時間」なのです。つまり私の誕生日31日は、私にとって25時間あったことになります。考えてみれば、日本に帰るとき一時間進ませるわけですから、同じ事ですが、誕生日の一時間がなにより嬉しかったのです。私たちには時間が与えられています。それをどう使おうと神様は自由にさせてくださいます。しかし、今回の私の誕生日に与えられた「一時間」は、これからのための祈りの時間となりました。
イエス様は「天の国のたとえ」として、ぶどう園の労働者の話をされました。朝早くから働いた労働者と、夕方1時間しか働かなかった労働者に同じ賃金を払ったという話です。この話を働いた時間の長さで考えると不公平ということになります。しかし、約束という視点からみると不公平ではありません。時間をどの視点でとらえるかが大切です。
ある調査によれば、一般家庭における一週間のテレビ平均視聴率は35時間~45時間だと言われています。その時間は、人が仕事をしている時間に費やすのと同じ時間です。子どもたちでは学校で過ごす時間をはるかに超える時間となります。いまではテレビ依存症といわれ、かなり多くの人が知らないうちにこの症状に犯されているそうです。恐ろしいのは、そのテレビでどんな影響をうけているかです。番組のほとんどはお笑い番組か人のうわさ話、そしてグルメのようです。また漫画が原作のドラマばっかり。これによって人はどんな影響をうけるのでしょうか。テレビ依存症を克服するためには、時間管理を必要とし、時間の用い方、時間内容の吟味を自分で管理しなければならないと言われています。
イエス様は「友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか」と言われています。神様から与えられた働きの報酬は、時間の長さによるのでなく、約束にあるといわれました。最後に1時間しか働くことができなかった者とも約束をされたのです。その約束の内容を自分として管理できているかを問われています。今年は神様から与えられた働きの中で、時間管理とは何かを考えながら過ごしていきたいと思います。
<音声朝礼拝は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>