2ペトロ 2:3 彼らは欲が深く、うそ偽りであなたがたを食い物にします。
笑い話にこのようなものがあります。「ある会合で、仲間がめいめいお酒を一本づつ持ち寄って、酒盛りの宴を開くことになりました。しかし、『どうせ大勢で酒を持ち寄って、それを交ぜて飲むのだから自分一人くらい酒ではなく水を持っていってもわかりはしまい』と考えて一升瓶に水をつめていったそうです。さて宴会がはじまり、めいめいの酒を集めておおきな釜に入れ、おかんをし、乾杯となりました。ところが一同顔をしかめてしまいました。それはただのぬるま湯だったのです。つまりみんなが水を持ってきた水盛りになったそうです」よく、自分一人くらいと考えてしまいます。しかし、自分一人が多く集まると大勢になるのです。
ペトロは「偽教師」についての警告をしています。異なる教えを退けなさいと忠告しているのです。これまでもイスラエルには真の預言者と共に、偽預言者もいました。同じように異なる教えを広めるキリスト教分派のような教師たちがあらわれています。しかもその偽教師たちは多くの支持者をえていました。またそこに金銭的な欲もからまって、人々が食い物にされている現実もあったようです。ペトロは、嘘の教えと金銭が人々を滅びへと導いていたことに忠告いているのです。
マーク・トウェインの言葉に次のようなものがあります。「嘘というものは無駄に使ってはいけない。いつ必要になるかわからないから」。嘘をつくということは許されることではありません。ひとつ嘘をつけば次から次と嘘を用意しなければならなくなります。結局、嘘は暴かれてしまいます。しかし、嘘をつかなければならない時もあります。それは人生において1回位の事です。そのときのために無駄に使ってはいけないのです。トウェインの言葉に「怪しいとおもったら、真実をかたることだ」というものもあります。真実を語ることが、嘘をつかないということです。嘘を無駄につかわないことなのです。
ペトロは「うそ偽りであなたがたを食い物にします」と言います。うそ偽りは私たちを食い物にします。それに騙されないためには、真実を知ることであり、真実を語ることしかありません。その真実は、神様のみがもっておられるもので、イエス様のみ言葉にしかないものです。
<音声朝礼拝は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>