東京におられる先輩牧師からメールで「キリスト新聞の望楼にあなたのことが出ているよ!おめでとう」と頂きました、初めは何のことかわかりませんでした。キリスト新聞社から出版した本の宣伝が記載されたのだろうくらいでした。しかし「望楼」って何かなとは思いました。
さっそくお隣の書店からキリスト新聞をいただきました。するとどうでしょうか!4月12日号の1面ではないですか。しかも朝日新聞でいうならば「天声人語」の場所に記載されていました。いや~驚きました。まさか私が出版させていただいた「被災地に立つ寄り添いびと」が取り上げられるなんて。しかも「望楼」のところで。牧師として生きてきてまた一つ神様からの恵みを頂きました。徳善義和先生からは「取り上げて不思議ではないですよ。よかった、よかった!」とコメントをいただきました。神学生のときにさんざん迷惑をかけた学生だけに、まさか自分がこのような励ましをいただくとは思ってもみませんでした。
その「望楼」には「活動の一つ、石巻市災害ボランティアセンターの受付の仕事では、ボランティアと被災者の双方から寄せられるクレームを処理。「復興が遅い」「もっと働け」と理不尽に怒鳴られても、「いまはそのような時期だから」と、じっくりと話を聞いた。その対応がとても感謝された」と書かれていました。じっくり読んで書いて下さったのだと感激しました。
イエス様ならどうなさるだろう。この怒号や罵声に何を答えられるだろう。十字架の前でイエス様はじっくりとその声を聞かれた。いつもそう思っていました。いまは聞くことに徹する。聞いて聞いて、そこから始まることを待つ。じっくり聞いたところに新しい光は見えてくる。復活されたイエス様は再び語り始めるのです。