マタイ 6:8 あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。
心理学者のユングがある書物のなかで、「人間の幸福の条件」として五つのことをあげています。第一に「健康」、第二に「自分でほどよいと思う程度のお金」、第三に「美しいことを知る能力」、第四に「人間関係」。そして最後の一つは何だとおもわれますか。「朝起きたときにやらねばならぬ仕事があること」です。はじめの三つはいつも言われることですが、あとの二つは軽視されていることです。人間関係がどうかで、幸不幸が左右されることはよくあります。この点は大切です。そして労働。ほんのわずかの働きでも、何か必要とされている。それが私たちを本当の幸福に結びつけるのです。奉仕が私たちを幸福にしてくれるのは、こんな私でも必要とされているからです。
イエス様は祈りについて教えられています。イエス様にとって祈りとは神様との自然な交流であり、神様からの報いを期待するものではありません。神様に対してどんなに「くどくど」とした祈りをしても効果はありません。神様は私たちのことをすべて知っておられるからです。祈る前からすべての配慮をして下さっていることに気がつき、その上でどう祈るかを考えなさいといわれたのです。
経営戦略というエッセイを読みました。その中に「マッチ売りの少女のマッチはなぜ売れなかったか」という話がありました。結論は「マッチそのものを売ろうとしていた」からだそうです。難しく言えば「事業のあり方は、顧客のニードが決める」ものです。マッチ売りの少女の場合、顧客はすでにマッチを持っているのでそれだけでは売れるチャンスはない。しかし、「家には病気の父と弟が私の帰りを待っています」ということでマッチを売る。すると顧客はマッチを買う。その時顧客は「不幸な少女を助けてあげた」という満足感を買うことになるからと。するとマッチは売れるというのです。そんな風に分析していくと、マッチ売りの少女の話が色あせてきますが。確かにそうだなと思います。ニードによって売る方が考えていかねばならないのです。
イエス様は「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ」と言われました。祈る前に、何が自分にとって必要かを知ることは大切です。神様は祈りという交流において、私たちの何を必要としておられるでしょうか。素直な語りかけと交わりです。何かをしてほしいではなく、神様が共にいてくださり、私たちを守って下さると信じることが祈りとなります。
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