マタイ 7:3 あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。
自分を知るのに一番いい方法は、一番近い親族を見ることだと思います。私にとっては娘をみると自分が見えてきます。自分とそっくりなのだから。あるとき長女が次女に言う言葉を聞いて赤面しました。「もういいかげんにしなさい」「そろそろたたくよ」「やめなさい」「なんどいえばわかるの」「おもちゃかってあげないよ」・・・。聞きながら禁止命令の多いことに驚きました。私が長女に言っている言葉と、まったく同じ言葉なのです。私が二才の娘にいう言葉を、十ケ月の娘に同じ様にいっているとは。そこで自分を反省することになったのです。子供を通してその親がどんな人かを知ることができます。
イエス様は「人を裁くな」というテーマで3つの話をされました。イエス様が教えられた「人を裁くな」ということは、律法に対する新しい解釈でもあります。律法の働きは、つねに人が人を正しく裁くことです。イエス様は、人が裁いてはならないと言われす。なぜなら、人を裁くことができるは神様の権限でだからです。人が人を裁くときには、すでに人間関係が壊れていることを意味しています。
精神分析医の言葉に「我々は他者の間違った行動を責め、良い行動は認めようとしないものである」があります。これを分析してみると、他者を否定的に見れば、優越感をもてるからだと言えます。しかし、精神分析医は「人が自分自身を健全で現実的な眼差しで見つめるようになれば、否定的な記憶は薄れる」と言います。まず自分を見ることから始めなければ、他者を認めることはできません。これができないから話し合いによって問題解決できないのです。よりよい解決案を見つけるには、まず相手を認めることからです。そこではじめて人と人との関係ができます。
イエス様は「なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか」と言われました。自分を知ることの難しさを教えておられます。相手を自分の目で見る前に、自分自身を神様の目で見ることが求められます。それができれば、はじめて相手の目にあるおが屑の意味もわかります。お互いにそれができれば、何か問題が起こったときに解決する道を与えられるはずです。
<音声朝礼拝は「神様の色鉛筆」でどうぞ!>