教会の整備が進み、礼拝堂が祈りによって「聖なる空間」になってきました。新しい十字架はそこにあるだけで、私たちに語るものをもっています。生きている十字架ですから、ぜひ皆さんも触ってその命を受け止めて頂ければと思います。
本日の礼拝後には「教会扉整備」「聖壇手すり設置」の報告説明会が行われます。礼拝堂扉については前期役員会の時からの懸案事項でした。今年の教会総会でも話題とさせていただきました。この扉の整備は牧師の念願でもあります。教会の外からから新しい方が初めて教会を訪れる時、まず扉が大切だと思っていました。礼拝堂の扉は中に入るためのただの建具ではありません。聖なる場所に入るための大切な入口です。礼拝堂の扉は祈りの門です。またイエス様そのものです。「私は門である」のみ言葉のとおりです。これまでイエス様の門としての意識があったでしょうか。ここを一歩入ると、普段の生活とは全く違う聖なる空間に招き入れられる。そこでイエス様と出会う。それを実現したかったのです。
今回、神様が祈りを聞いてくださり礼拝堂の扉と出会わせて下さいました。この扉は1800年代のイギリスの教会に取り付けてあった礼拝堂の扉です。ステンドグラスが入った扉を見た時の感動と「これだ」という印象を忘れることができません。時代を超えて、場所を超え、空間を飛びぬけて大江教会の扉として復活できればと願っています。それと同時に聖壇の手すりを設置します。聖卓を囲む礼拝といいつつ囲めない現状があります。まずは手すりから、そしてスロープがなければ車いすの方は聖壇にはのぼれません。一つ一つを解決して、聖なる空間は私たちの礼拝堂となります。
扉のため、手すりのためには指定献金をいただきました。工事費をどうするか考えます。皆さんの視点からまだ整備するところも教えて下さい。ここは皆さんの教会です。
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