大江教会の「聖なる空間プロジェクト」が、少しずつ噂にされるようになりました。「どうも大江教会が変わってきているらしい」という噂を耳にして、教会を見に来られる方があるのです。先週も3名の方が来られました。そんなときは何も説明せずに礼拝堂にご案内します。
さて、礼拝堂を見た方の反応はちょっとずつ違います。前の礼拝堂を知っておられる方は必ず「明るくなりましたね」と言われます。暗い雰囲気がなくなり、さわやかになったと言われるのです。はじめて見られた方(その方は和歌山からの旅行途中で寄られました)は、「十字架に圧倒されます。イエス様の死と復活が同時に見えます」と言われました。ある方は「この鐘の響きは違う。ここにしかないものですね」と言われました。扉に感動されたかたもありました。世界に大江教会にしかない礼拝堂になりつつあります。
ところが、毎日礼拝堂で祈っていてもなにか足りないものを感じます。それは「霊的な雰囲気」です。フランシスコ会訳聖書1コリント2章14節「この世の命だけに生きる人は、霊に関することを愚かしいとして受け入れません。霊に関することは、その働きがあってこそ判断を下されるからです」とあります。この霊は聖霊のことでしょう。つまり、この礼拝堂が聖霊によって満たされた時、「聖なる空間」プロジェクトが完成します。どうやったら聖霊で満たされる教会となるのか。
9月から礼拝堂にて講壇聖書の通読を始めます。礼拝堂に祈りの記念日ノートをおきます。毎日祈るためのものです。毎朝の礼拝で鐘をならして祈ります。聖霊に満たされるようにと祈ります。それが牧師一人ではなく、皆さんでできればと願っています。