ルカ 2:34 シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。
大阪教会の機関紙に、ある信徒の方が「引き際にロマンを見た」という題で、昨年天に召された石橋幸男牧師語録を書いておられました。「信仰の業で最も偉大なことは、いかに多くの人に福音を伝えたかではなく、伝えねばおられない人間に変えられたかである」「『自分を愛するように隣人を愛せよ』古今東西地球上にただ一人の自分を愛し切らねば、人に愛を注ぐことはできない。神が自分をして、何を表現されようとしているのか、使命を模索し、高める努力をすべきである。他人から必要とされる人に変えられなければ、その人の信仰は空しい。泳げなくてどうして溺れるものを救うことができるだろうか」。信仰の心を定めることを教わったようです。
イエス様を出産した母マリアは、律法の定めに従ってその子を主に捧げるためにエルサレムの神殿にやってきました。そこでシメオンに出会います。彼は「正しい人で信仰があつく」「聖霊が彼にとどまっていた」人でした。シメオンは母マリアに神様によって定められたイエス様の受難を予告し、母マリアもそれを目撃することになると預言しました。
動物(ペット)と共に生きるというラジオ番組がありました。ペットロス症候群が話題になっており、日本人に多い現象だと言っていました。もともと日本人の感性では、食べる動物とペットを区別できず、その境界線を曖昧にしてしまうそうです。欧米の感性は「神様が食べる動物と、ペットを区別して創られた」と考えており、「この動物のすべてに死が与えられている」と考えるのだそうです。だから、死ぬという前提のもとに「いまどのように接するか、共に過ごすか」が大切だというのです。そこには十分に愛情をそそぐのだからペットロス症候群にはならないということでした。すべては信仰の問題なのかなと思います。
イエス様の母マリアはすべてを心に留めていきていきます。神様の子どもであるイエス様に、我が子でありながら従っていく人生を歩むには「すべてを心に留める」しかなったのでしょう。シメオンの預言をとおして受難を知った母マリアでしたが、その預言ゆえに今をいきることができたのです。
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